2010年06月19日

昼ドラ・娼婦と淑女第三部のいろんなこと

東海テレビ昼ドラ・娼婦と淑女第三部。

全65話中の、第42話からが第三部になりまして、55話までの放送が終わっています。
第一部・第二部の続編にあたる話なのですが、いろいろと物議を醸している、微妙な評価を受けている感は否めない第三部。

これはですねえ、私は、「ストーリープランナー」にあたる部分に、おそらく「なにかある」のではなかろうか、と推測します。
はやいハナシ、この物語の「総責任者(複数名と思われますが)」のストーリーの構築の采配の仕方に理由があるのか、はたまた、なにかの権限がおよんでいるのか、これはあくまで推測の域を出ない、私の想像上の話ですし、制作側の実情は私の知るところではありません。

しかし、この件につきまして、決定的だな、と思われましたのが、公式サイトにあります「木下あゆ美さん(清瀬麗華役)の2本目のインタビュー記事」の内容です。『インタビュー15』にあたる記事ですね。

この記事が削除されていないということは、おそらく制作サイドのスタッフ中にも、木下あゆ美さんと同じ思いのスタッフの方がおられるのではないか、とも思われます。

詳しい内容をお知りになりたい方は、以下のリンクからどうぞ。
http://tokai-tv.com/ss/interview/

数日過ぎれば、別のインタビュー記事に変わっていると思いますが、「15」の記事です。

見ている視聴者の私たちが「あれ? えっ?」と思っていることは、演じている女優の方も、そう感じておられた、ということが伝わって来るような、貴重なインタビュー記事だと思います。

あそこまでのものが出来上がって放送されてしまった以上、もはや、どのスタッフがどうだとか言っている段階ではないのですが、藤堂賢吾の扱いといい、主人公紅子の、セリフそのものや、劇中での行動といい、第一部・第二部にも若干はそうした「不整合感」は、まったく無いとは言えませんでしたが、第三部におきましてはあまりにも残念な結果になっていると思います。

やはり番組を見てくださる視聴者の皆様あっての、ドラマであり、それこそ「番組」なのではないでしょうか。
いたずらに奇をてらったり、より刺激的な場面を捻出しようとする方向性よりも、ドラマ本来の「1本筋が通った感じ」を、第三部におきましても、見たかったなあと思っています。脚本そのものの下地には、充分にその可能性はあったはずではないかと思われます。

支離滅裂で、ストーリーが破綻し続け、滅茶苦茶になり進むさまを、1本の筋が通った感じとは言えないのではないか、とも思われます。

それとも、登場人物各人が迷走するさま、あるいは支離滅裂になるさま、主人公が周囲をふりまわし、いろいろなことを破壊し続けるさまを描きたかったのでしょうか。もしそうなのだとしたならば、私は非情に残念です。

破壊するならするで、ちゃんとその後の「ケア」であるとか、立て直しであるとか、それぞれのキャラの「救済」ということが、描かれてこそ、視聴者の皆様も、うなずいてくださるのではないでしょうか。(この作業を残りの話数でやるとなると話は、少しだけ別、になりますが、そうだとしましても、「藍子と陽平登場」以降の流れは、あまりにも残念なものと思われてなりません。いくらでもあの状況設定で、やりようはあったのでは、と思うのは、やはりファンの欲目でしょうか。)

主演女優、また、それぞれの登場人物の「味付け」が、よかったなあと思うだけに、とても無念な気持ちではありますが、ラスト10回、二週分の放送が、何を示してくれるのか、ここまで「ひたすらに紅子を愛し続けようとしてきた、一途で、(紅子の気性の)理解者でもある藤堂を壊しておいて」何をしたいのか、それでも最後まで見届けたいと思います。

(それでも、陽平の性格づけであるとか、久我山康助の再利用? とか、清瀬孝太郎・杏子の様子とか、孤児たちとのふれ合いとか、第三部の中でも、よい面は、あると思います。なにより役者さんたちをテレビで見る事が出来た、ということには感謝したいと思います。娼婦たちの衣装にも楽しませてもらいました。特に、木下あゆ美さん、毎回のドレスが、とてもよく似合っていました。)










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