テレビアニメ『エレメントハンター』より。劇中の登場人物(情報生命体)カー博士のいろいろなこと。
ある意味、この人は「超人」なのかもしれませんね。優秀中の優秀な人物、まるで高次元の生命存在であるかのような印象すら受けます。
そうした存在であったとしても、この世においては、人間として生まれてきた以上は、人間として生きて行く事になるわけでして、当然、その「枷(かせ)」は、誰しもがそうであるように、同じように背負うわけですよね。
5才の頃に、自然災害であろう大津波で両親を失ったことから、端を発する「元素消失」の、真の原因。
5才の彼女、エイミーのこの時の絶望と悲しみ、そして憎しみと怒り、すべての「負」の感情と思念が一体となり、力をともなって、「あの言葉」と、強烈強大な「ひびき」を発してしまいます。
それが十一次元に「届いて」しまい、おそるべきことに、三次元のこの世での「具体的な結果」をもたらすことになった、というわけです。
実際、『エレメントハンター』全39話シリーズ中におきましても、第3話に、例の「なくなっちゃえ!」の「叫び」が描写されています。
その詳細が明かされるのは、番組のクライマックスに突入してからになりますが、ものすごい話ですよね、これ。
かつてないし、これからも、という印象さえ受けます。単なる謎解きにあらず、すさまじい説得力をもって、私たちの前に登場した、画期的な番組、といいましても、言いすぎではなかろうと思われます。
ことの焦点は、エイミー・カーの5才の時の、ことが「原因」とはいえ、劇中の「元素消失」なる大災害で、どれだけの「犠牲」が出たか、(
カー博士がその原因をつくってしまっていた、となるわけですが)ということになると思われます。
それはひとつに「環境」であり、「生態系」であり、そして「元素消失の災害とともに、失われた数多くの人命とそれぞれの人生」の数々です。この責任は、ひとえに「原因をつくった」者が背負わざるを得ません。しかしながら、果ては地球という星そのものすら、非常なる窮地に追い込みかねない現状と結果を生み出すとは、5才のエイミーは、夢にも思わなかったでしょう。
劇中で、この「元素消失の真の原因」にたどりつくのは、カー博士とはいえ、肉体を捨てながら「存在」としてあり続ける、ということを必要としたわけですが、そうした彼女の「人生」の積み重ねが、38話のプラネタリウムのシーンに凝縮されてもいたような気もします。
そして、カー博士の、つぐないは、みずからがその原因に対処する(最終回)、ということで物語は完結をみるわけですが、壮大な話だなあ、と、あらためて番組に惚れ直してしまいますねえ。
まさしく、カー博士にはじまり、カー博士に終わる、21世紀、2010年にふさわしい、空想科学テレビアニメだったと思います。